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松山地方裁判所 昭和58年(ワ)385号 判決

主文

一  被告らは、原告に対し、各自金五六八七万一五七二円及び右金員の内金五一八七万一五七二円に対する昭和五七年七月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項にかぎり、かりに執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自金六〇七九万九一五八円及び右金員の内金五五二七万一九六二円に対する昭和五七年七月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  1につき仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告は、従来特段の大病も患うことなく、大工の職にあった者である。

(二) 被告医療法人辰生会(以下、「被告辰生会」という。)は、科学的でかつ適正な医療の普及を目的とした法人であって、山本病院(以下、「被告病院」という。)を開設しており、また、被告山本淳(以下、「被告山本」という。)は被告辰生会の理事をしており、その実質上の経営者でもある。

2  事件の経過

(一) 原告は、昭和五五年八月一一日、宇和町農業協同組合多田事業所茶工場の一階スレート瓦の葺き替え作業のために同スレート瓦の屋根で釘貫をしていた際、突然右屋根が抜け落ちたため、地上から約三メートルの高さのある同所から海老状の形で転落し、腰部を打撲した。そのため、原告は、救急車で被告病院に運ばれ、被告山本の診察を受けたところ、第一腰椎圧迫骨折及び脊髄損傷との診断を下され、その後被告山本の治療を受けた。

(二) 原告は、昭和五五年一〇月一四日には歩けるようになったので外泊許可を受けて自宅に帰り、同年一二月二五日には退院の予定となっていたところ、毎週木曜日に愛媛大学から被告病院へ出張治療に来ていた田中晴人(以下、「田中医師」という。)と西本裕俊(以下、「西本医師」という。)の両名及び被告山本から完治の程度をより正確に診断するために回復検査を受け、その検査の結果さらに来春早々中枢神経疾患の完治を判断するための精密検査として脊髄造影検査を受けることとなり、右退院日も延期された。

(三) 原告は、昭和五六年一月八日午後二時ころから一時間ほど、中枢神経疾患完治の検査のため、田中医師の指示のもとに西本医師の手で第四腰椎と第五腰椎の各棘突起の間から針を脊髄内まで穿刺され、右針を通して脊髄腔内にジラックスを注射器で注入され、モニター操作により右脊髄腔内を移動するジラックスをレントゲン透視される方法で行われた脊髄造影検査を受けた。

(四) 原告は、右注射された昭和五六年一月八日午後一〇時ころから、全身に痙攣を起こし、次第にその程度がひどくなり、同月九日午前六時までの間に二〇秒ごとに一度の割合で痙攣が反復し、同月九日午前六時を過ぎるころから、痙攣の激しさを増し、腰部にきりもみされるような痛みを生じ、腰から下が足の下に引っ張られるような痛みを感じ、昭和五六年一月一六日、来院した木村英基医師に診察を頼み同医師の指示により、点滴がなされ、注射を毎日五ないし六本打たれて、ようやく痛みが薄らいだ。

(五) 原告及びその妻は、昭和五六年一月八日から同月一一日まで、被告病院の看護婦に被告山本の診察を繰り返し懇請したが、看護婦は痛み止めの注射をするのみで、被告山本は同月一二日午前一〇時まで診察に訪れず、被告山本が右診察をした際にも、問診及び触診等をなしたが、特段の治療行為をせず、同月二二日及び二九日に田中医師及び西本医師が被告病院に来院したが、同月二九日に西本医師が診察したのみであり、同年二月五日にようやく田中医師が診察に訪れたが、同医師は、右下肢が腰関節部から外側に九〇度反転し、かつ、左下肢が外側に三〇度反転している原告の足の、足形を石膏でとり、その回復運動の指示をしただけで、右症状についての説明をしなかった。

(六) 原告は、昭和五六年二月二三日、被告山本の要請に応じて、宇和島社会保険病院に転院して、同五七年三月一三日まで同病院に入院し、その後通院治療しており、同年六月三〇日症状固定となっているが、同病院の診察によれば、両下肢れん性麻痺、腰椎圧迫骨折及び痙攣による両大腿骨頚部骨折ということであり、原告は現在股の屈曲右六〇度、左五〇度、伸展左右とも〇度、外転左右とも一〇度、内転右二五度、左三〇度、外旋内旋が左右とも不能、膝については、屈曲が右六〇度、左五〇度、伸展左右とも〇度という状況にあり、寝返りもできないため不眠に苦しみ、左右の大腿部が疼き、和式便所が使用しえず、正座もできず、松葉杖をついたままの生活をよぎなくされており、ほとんど労務に服することもできない。

3  診療契約

原告は、昭和五五年八月一一日、被告辰生会との間で、原告が受傷した腰椎打撲傷の治療を内容とする診療契約を締結した。

4  被告山本らの過失

被告山本、田中医師及び西本医師の以下の行為には過失がある。

(一) 整形外科の専門医の不在

被告病院には整形外科に係わる主任的医師が常勤しておらず、わずかに西本医師が週一回、田中医師が二週間に一回の割合で派遣されてくるだけであり、西本医師が原告を初見したのは昭和五五年一二月初めころであり、田中医師が原告を初見したのは同月二五日であって、原告の主治医として継続的な治療に当たっていたわけではないにもかかわらず、田中医師の判断により脊髄造影検査をすることとした。

(二) 不必要な脊髄造影検査の実施

被告山本らが原告に対して行った脊髄造影検査において使用したジラックスは、水溶性であり、神経系に対する刺激作用を有しており、間代性痙攣などの重篤な副作用が発生する危険があるので、これを使用するに当たっては適応症を遵守すべきであって、原告は昭和五五年一二月初めころ西本医師から経過観察との診断を受け、被告山本から退院の許可を受けうる程度に回復していたのであるから、原告に右検査をする必要はなかったにもかかわらず、右検査を行った。

(三) 原告の同意の不存在

被告山本らが原告に行った脊髄造影検査は前記のとおり危険な検査であるから、右検査を行うとしても、被告山本らは、原告に右検査の内容及びそれによる危険性を説明して、右検査を行うことの承諾を得なければならないにもかかわらず、被告山本らは、原告に対し、右のごとき説明も承諾も得ずに右検査を行った。

(四) 事前検査の不十分

被告山本らが原告に対して行った脊髄造影検査は前記のとおり危険な検査であるから、右検査を行うとしても、原告が右検査の実施に耐えうるか否かを十分に検査しておくべきであるにもかかわらず、被告山本らが右検査をしたか否かは明らかではなく、少なくともヨード過敏性検査の結果について田中医師は検認すらしていない。

(五) 脊髄造影検査の手技の誤り

被告山本らが原告に対して行った脊髄造影検査は前記のとおり危険な検査であるから、右検査を行うとしても、その用法、用量を遵守し、厳重な患者管理のもとで慎重な実施をすべきであるにもかかわらず、被告山本らは右検査に当たって以下のとおりのその手技を誤った。

(1) 脊髄に穿刺する針の刺入部位の誤り

ジラックスを脊髄腔内に注入するために脊髄に針を穿刺するに当たっては、脳より第四腰椎の脊髄内まで運動神経の束が通じているので、その神経を傷害して運動障害を発症させないため、第三腰椎と第四腰椎の椎間に針を穿刺すべきであるにもかかわらず、西本医師は、原告に針を穿刺する際に、その刺入部位を誤った。

(2) 脊髄に穿刺する針の刺入深度の誤り

ジラックスを脊髄腔内に注入するために右脊髄に針を穿刺するに当たっては、二〇ゲージの針でくも膜下腔へ針を進行させ、針が黄靱帯を通り抜けるときの当たりと、更に硬膜を突き抜けるときの二度目の当たりを感じる所まで針を進め、脳脊髄液を採取すべきであるにもかかわらず、西本医師は、原告に針を穿刺する際に、その刺入深度を誤った。

(3) 脊髄腔内に注入すべき量の誤り

脊髄腔内に注入すべきジラックスの量は通常四ないし五ミリリットルであるにもかかわらず、西本医師は、これより多量のジラックスを原告の脊髄腔内に注入した。

(4) 患者管理の誤り

脊髄腔内に注入されたジラックスを右ジラックスが右脊髄腔内から消失するまで第一腰椎より上昇させてはならず、殊に穿刺部より下方に閉塞あるいは狭窄があるときは注入されたジラックスが少量であっても右ジラックスが異常に上昇することがあり、原告には第一腰椎、第五腰椎及び仙椎間に椎間板の損傷があり、また加齢性の脊髄狭窄もあって穿刺部である第四腰椎と第五腰椎の椎間より下方に閉塞あるいは狭窄があるので注入されたジラックスが少量であっても異常に上昇することがあるのだから、被告山本らが原告に行った脊髄造影検査中及びその後通常脊髄腔内に注入されたジラックスを右脊髄腔内から消失するのに要するとされている八時間程度は脊髄腔内に注入されたジラックスが第一腰椎より上昇しないように注意すべきであるにもかかわらず、被告病院の技師または看護婦がモニター操作を誤って原告の脊髄腔に注入されたジラックスを第一腰椎より上昇させ、あるいは、田中医師が原告の脊髄腔内に注入されたジラックスが右脊髄腔内から消失するまえに原告の体位を変更させて右ジラックスを第一腰椎より上昇させた。

(六) 副作用発生後の不適切な処置

ジラックスの副作用として痙攣が発現した場合には、ジアゼパムを静脈ないし筋肉に注射し、あるいはジラックスを含んでいる髄液を約一〇ミリリットル吸引するなどしなければならないにもかかわらず、被告山本は、原告に昭和五六年一月八日午後一〇時ころから痙攣を生じていたのに、看護婦をして痛み止めの注射を打ったものの、同月一二日午前一〇時に初めて原告を問診しただけであり、また、田中医師は同年二月五日にようやく原告を問診したのであるが、いずれも特段の治療行為をなさなかったばかりか、骨折で苦しむ原告に対し不適切にもマッサージを行った。

5  被告山本らの過失と損害との因果関係

ジラックスを脊髄腔内に注入した後に発現する痙攣、てんかん様の発作は、脳及び脊髄の灰白質に一定濃度以上にジラックスが浸透し神経細胞に変化をきたして生ずるものであり、脊髄腔内でジラックスの急速拡散に伴い十分に希釈されていないジラックスが第一腰椎より上昇した場合に多発する傾向があり、ジラックスを脊髄腔内に注入した二ないし八時間後に発現するものであるが、原告の場合検査後八時間で発現していること、痙攣の態様が当初肩から手にかけて痺れてきてその後足の方にきたというのであってジラックスの副作用による痙攣の典型的な症状であることなどから、被告山本らが原告に対して行った脊髄造影検査の後二週間にわたり原告に発現した痙攣は、被告山本らの前記過失により行われた右検査によって生じたものであり、右痙攣によって原告は前記のとおり両下肢れん性麻痺、腰椎圧迫骨折及び両大腿骨頸部骨折の傷害を受け、しかも被告山本らが右痙攣に対して適切な治療をしなかった前記過失により右傷害の程度が重くなり、それによる後遺症を前記のとおり負っているものであるから、被告山本らの過失と原告の受けた右傷害及び後遺症との間には因果関係が存する。

なお、被告らは、右検査終了後原告に痙攣が発現したのは、原告が右検査終了後田中医師の指示した体位を維持しなかったことによるものであるから、被告山本らには右痙攣によって被った原告の損害を賠償する責任はない、と主張するが、原告の人柄や自己保身の姿勢意欲からみて右指示を無視したとは考えられない。

6  原告の損害

原告は、被告山本らの前記不法行為、債務不履行により、以下のとおり合計六〇八五万二一一〇円の損害を被った。

(一) 傷害による逸失利益(五六五万四七九四円)

原告は、本件事故当時には大工として平均月額四〇万円の収入を得ていたが、前記傷害により昭和五六年一月八日から同五七年三月一三日までの四三〇日間被告病院及び宇和島社会保険病院に入院したため、右業務に就けず、入院期間中に得ることができたはずの五六五万四七九四円を得ることができなかった。

(40万円×12月×430日/365日=565万4794円)

(二) 後遺症による逸失利益(三五〇八万五一二〇円)

原告は、前記後遺症により症状固定時である昭和五七年六月三〇日の年齢である満五七才から就労可能年齢である満六七才までの一〇年間就労できたところ、労働能力を九二パーセント喪失したので、右後遺症による逸失利益は、前記収入を基礎として計算し、中間利息を新ホフマン係数を用いて控除すると、三五〇八万五一二〇円である。

(40万円×12月×92/100×7.945=3508万5120円)

(三) 傷害による慰謝料(一六五万円)

原告の前記傷害による慰謝料は前記入院経過に照らして一六五万円が相当である。

(四) 後遺症による慰謝料(一一〇〇万円)

原告の前記後遺症による慰謝料は前記障害の内容、程度に照らして一一〇〇万円が相当である。

(五) 入院付添費(一五〇万五〇〇〇円)

前記のとおり原告が被告病院及び宇和島社会保険病院に入院していた合計四三〇日間の原告の付添看護には原告の妻らがこれにあたったところ、右付添看護に要した費用は、一日当たり三五〇〇円を相当とするので、合計一五〇万五〇〇〇円となる。

(430日×3500円=150万5000円)

(六) 入院諸雑費(四三万円)

前記のとおり原告が被告病院及び宇和島社会保険病院に入院していた合計四三〇日間に原告の入院に要した諸雑費は、一日当たり一〇〇〇円を相当とするので、合計四三万円となる。

(430日×1000円=43万円)

(七) 弁護士費用(五五二万七一九六円)

原告は、本件請求に関し、弁護士に依頼せざるを得なくなり、その費用は、愛媛弁護士会報酬規定の枠内で、前記損害額の一割である五五二万七一九六円が相当である。

7  被告辰生会の責任

被告辰生会は、その理事である被告山本が職務の執行としてなした前記過失行為により、あるいはその雇用している西本医師ないしは田中医師の前記過失行為により原告に前記傷害及び後遺症を負わしめたのであるから、民法四四条一項又は民法七一五条により、また前記3記載の診療契約の債務を履行するにあたり、被告山本、西本医師及び田中医師がなした前記債務の本旨に従わない行為により原告に前記傷害及び後遺症を負わしめたのであるから、民法四一五条により、原告に対し、前記6記載の損害を賠償する責任がある。

よって、原告は被告辰生会に対し、不法行為(理事の不法行為又は使用者責任)又は前記診療契約の債務不履行にそれぞれ基づき、並びに被告山本に対し、不法行為に基づきそれぞれ損害賠償として右損害額六〇八五万五一一〇円の内金六〇七九万九一五八円及び右金員の内金五五二七万一九六二円に対する不法行為の日の後である昭和五七年七月一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2(一)の事実は認める。

同2(二)の事実のうち、昭和五五年一二月二五日原告が被告病院を退院する予定であったことは否認し、その余は認める。原告から、腰痛及び下肢の知覚障害が依然として持続しており、そのような状態では復職の自信がないので、手術を受けて右症状が改善されるのであれば、手術を受けてもよい、との希望があり、その当時、愛媛大学が満床だったので、取り敢えず被告病院で脊髄造影検査だけは行うことになったものである。

同2(三)の事実は認める。

同2(四)の事実は認める。

同2(五)の事実のうち、被告山本が原告の診察をした際に治療を行わなかったことは否認し、その余は認める。被告山本は再三原告の診察を行い、痛み止めあるいは痙攣止めの処置を懸命に行った。

同2(六)の事実のうち、原告の後遺症の内容及び程度は知らず、その余は認める。

3  同3の事実は認める。

4  同4の被告山本らに過失があったとの主張は争う。

同(一)の事実のうち、被告病院には整形外科に係わる医師として愛媛大学から西本医師が週一回、田中医師が二週間に一回の割合で派遣されてくることは認めるが、その余は争う。被告病院は、診療科目として外科、内科、脳神経外科、放射線科、皮膚泌尿器科、麻酔科を掲げており、整形外科を診療科目として標傍していないが、診療内容をより良くするため、右両医師の派遣を受け、右両医師の診察により入院手術治療の必要な患者については愛媛大学附属病院に転送することとなっており、原告についても被告病院における右の取扱に従って右両医師が診断のために脊髄造影検査をしたものであり、整形外科の主任医師が存在しないとする原告の主張は筋違いである。

同(二)の原告に脊髄造影検査をする必要がなかったとの主張は争う。原告の傷害は昭和五五年一二月二五日の時点でほとんど治癒していたが、腰痛がまだ残っており、田中医師を中心として検査をしたところ、仙腸関節及び第一腰椎から第一腰椎の棘突起に圧痛があり、上臀神経圧痛、大臀周囲筋の萎縮、大腿神経及び座骨神経にワッサーマン検査(伏して足を上げる)、ラセーグ検査(仰向けで足を上げる)及びブラガード検査(足を左右に振る)で各圧痛がみられ、第四腰椎、第五腰椎及び仙椎に知覚障害があり、アキレス腱反射及び膝蓋腱反射が亢進していて、腰椎根に由来する病的所見があり、原告の愁訴もあったことから、その原因及び手術の要否を診断するために最終の精密検査として脊髄造影検査をする必要があったのである。

同(三)の、原告に脊髄造影検査の説明をせず、右検査を実施するための同意を得なかったとの主張は争う。原告に対し右諸症状と右検査について詳しく説明して原告の同意を得たうえで右検査を行ったのであり、右検査によれば、第四腰椎、第五腰椎、仙椎に加齢現象を加えて椎間損傷があり、腰椎そのものの安定が悪いとの診断がなされたものである。なお、右検査の手順や手技は通常行う医術であり、医師の専権に属することであるから、患者に対して説明する義務はない。また、被告らは原告に対し、脊髄造影を行うとこれに使用した造影剤が脊髄の脳の方に流れて脊髄内の神経を侵したり、造影剤が脊髄内に残留して神経を侵したりすることがあることを、右検査前後に説明しており、殊に病室に帰ってからは座位を四五度に固定して頭部を低くしないように厳しく注意を与えていた。

同(四)の事前検査をしていないとの主張は争う。本件は事前検査を要するショック反応や過敏反応のケースではないのであるから、事前検査の有無を問題とすべきではない。なお、被告らは、脊髄造影検査を行うに当たり、昭和五六年一月八日午前一〇時五五分、原告にウログラフィンテスト(ヨード過敏性テスト)を行ったところ、陰性であることを確認して、同日午後二時ジラックスを用いた脊髄造影検査を行った。

同(五)の被告山本らが脊髄造影検査の手技などを誤ったとの主張は争う。被告らは、原告に脊髄造影法を行うにつき、まず原告を二〇度ないし三〇度の頭部高位に横臥させ、腰椎穿刺の手技に十分慣れていた西本医師が五ミリ入りアンプル二本のジラックスを入れた注射器の針を最も危険のない第四腰椎と第五腰椎との間に穿刺して脊髄液の右注射器内への洩出を確認したうえ、右洩出した脊髄液二シーシーと右ジラックスを混和させ、右混和液を脊髄腔内に徐々に注入したものであり、右注入に際しては脊髄造影検査に習熟していた田中医師が室外の操作室においてテレビモニターによる透視をしながら、薬剤の投入及び原告の容態について慎重に注意しつつ、西本医師に指示を与えていたのであり、右注入後も右と同様の監視のもとにレントゲン撮影を行っており、右検査終了後も田中医師と西本医師が被告病院を辞去した同日午後六時過ぎまで原告から異常を訴えられたこともなければ、異常な症状も認められなかったのであるから、被告らの行った脊髄造影法の手技には過失は認められない。

同(六)の被告山本らが原告に発現したジラックスの副作用に対する適切な治療を行わなかったとの主張は争う。被告山本は、原告から腰のひきつりを感じるとの訴えのあった昭和五六年一月八日午後九時一五分から、直ちに愛媛大学医学部から派遣されていた久保医師とともに原告の症状を診察し、ジラックスの副作用及びその対処療法についての文献を検討したうえ、即効的に痙攣を抑制するといわれているセルシン(一般名がジアゼパム)五ミリグラムを腰部に筋肉注射し、さらに強力鎮痛薬ペンタジンを筋肉注射し、その後もセルシン一〇ミリグラムの静脈注射を毎日のように繰り返したことをはじめとして、三〇に及ぶ薬を投与するなど誠心誠意原告の診療にあたったが、それらの効果が現れなかったので、急いで田中医師及び西本医師に連絡し愛媛大学の脳神経外科の木村教授とも連絡をとって、抗痙攣剤であるアレビアチンを静脈に注射して、ようやく痙攣の鎮静をみたのであり、その後も、原告が宇和島社会保険病院に転院するまで、その時点でとりうるあらゆる方法で原告の症状の治療に努めたものであって、被告らの右処置には過失はない。

5  同5の事実は否認する。被告らの本件脊髄造影検査の手技等に不適切な点があったとすれば、その時点で原告に異常が発現しているはずであるが、右検査は昭和五六年一月八日午後二時に行われているのに対し、原告に異常が発症したのは同日の午後一〇時であって、右検査実施後八時間してから原告に異常が発現していることに鑑みれば、右検査に不適切な点があって、これにより原告に痙攣が発現したとは考えられず、むしろ、右検査終了後に体位を長時間固定することへの抵抗感や疲労感から、被告山本らの指示に反して、原告がジラックスを第一腰椎より上昇させるような動作を行ったことにより、右痙攣が発現したと考えるべきである。

6  同6の事実は知らない。

7  同7の主張は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  争いのない事実

請求原因1、同2(一)、(三)、(四)及び同3の各事実、昭和五五年一二月二五日原告が被告病院を退院する予定であったことを除く同2(二)の事実、被告山本が原告の診察をした際に治療を行わなかったことを除く同2(五)の事実、原告の後遺症の内容及び程度を除く同2(六)の事実並びに被告病院には整形外科に係わる医師として愛媛大学から西本医師が週一回、田中医師が二週間に一回の割合で派遣されてくることは、いずれも当事者間に争いがない。

二  事件の経過

前記争いのない事実に、〈証拠〉を加えれば、以下の事実が認められ、これに反する〈証拠〉は前掲各証拠に照らして採用しえず、他にこれを動かすに足る証拠はない。

1  原告は、大工を職業としていた者であるところ、大正一四年一月二日に出生してから昭和五五年に後記の事故に遇うまで、大病を患ったことはなかった。

2  被告山本は、昭和四七年被告病院を開設してその院長となり、同五一年被告辰生会を設立して、自らその理事となり、被告辰生会は、被告病院の経営を被告山本から受け継ぎ、外科、内科、脳神経外科、放射線科、皮膚泌尿器科及び麻酔科を診療科目とし、昭和五五年ころは常勤医師として外科を専門としている被告山本と佐藤元通医師の二名、非常勤医師として被告山本の依頼により愛媛大学から派遣されてきていた脳神経外科を専門としている木村英基医師と整形外科を専門としている西本医師と田中医師の三名とで構成されており、西本医師は、同大学大学院生で、週一回被告病院において整形外科の診療をなし、田中医師は、同大学講師で、二週間に一回被告病院において西本医師の指導をしていた。

3  原告は、昭和五五年八月一一日午後四時ころ宇和島農業協同組合多田事業所の茶製造加工場のスレート屋根上で右屋根を修理する作業をしていたところ、右スレートが抜け落ちたために右屋根(地上からの高さ約三メートル)から地上に海老のような形で転落して背部、特に腰部を打撲して受傷し、腰痛、両下肢の知覚・運動不全麻痺があり、起立・歩行不能の状態で、同日午後五時ころ救急車で被告病院に搬送され、佐藤元通医師の診察を受けて第一腰椎圧迫骨折、脊髄損傷との診断を受け、同日被告病院に入院し、その後被告病院で被告山本と佐藤元通医師(同年一〇月ころからは久保周医師)を主とし、西本医師と田中医師をも加えた四名の治療を受けた。

4  原告は、被告病院に入院当初は腰痛、腰部より両下肢に知覚鈍麻及び筋力低下による運動障害、排尿及び排便障害が認められ、歩行及び体位変換がいずれも不能であるため、絶対安静下でギブスベッドにて仰臥させられて、保存的治療を受けていたところ、全身状態が良好に保たれたことにより、昭和五五年九月一一日からコルセットを装着しての起立訓練、更に徐々に歩行訓練が開始され、同年一〇月一〇日ころには歩行が可能となり、同月一三日に外泊の許可を得て帰宅し、外泊による症状の変化を観察したところ、経過が良好であり、同年一二月初めには、被告山本から相談を受けた西本医師から、退院したうえで通院治療の示唆を受けたが、下肢筋力の改善は十分とはいえず、前記知覚障害、腰痛及び下肢のしびれ感がまだ持続しており、原告も職場に復帰することに一抹の不安を抱いていた。そこで、被告山本は、田中医師に相談し、その主導下で、同五五年一二月二五日、原告を検査したところ、圧迫骨折のあった部位に痛みが残っており、その周囲の筋肉に圧痛があり、筋肉の萎縮もみられるので、前記事故による後遺症以外の病態として、腰椎根に由来する病的所見が考えられ、その治療のためには愛媛大学病院において手術するしかないが、直ちに原告を右病院に入院させられないことから、取り敢えず病因などをより詳細に究明するため被告病院において脊髄造影検査(ミエログラフィー、脊髄腔内に造影剤を注入し、体位を変化させることによって移動する造影剤をレントゲンで見ることにより、脊髄の病変及びその位置を診断する。)をすることとなった。なお、原告は同年一二月二九日から同五六年一月五日まで外泊している間に雪掻きができるまで病状が回復していた。

5  原告は、昭和五六年一月八日午前中、脊髄造影検査に使用されるジラックスのアレルギー検査であるヨード過敏性検査を受けてそれが陰性であることを確認された。同日午後二時ころ、田中医師の指示を受けた西本医師は、原告の第四腰椎と第五腰椎との各棘突起の間からルンバール針を棘突起に沿って脊髄腔まで刺入して、造影剤ジラックス一〇ミリリットルを脊髄腔に注入し、テレビレントゲン室でテレビモニターを見ている田中医師らは、その指示で原告の体位を変位させて脊髄腔内のジラックスの動きをレントゲン室で透視して、造影剤ジラックスを用いた脊髄造影検査を実施したが、原告の容態に特に異常はなく、同日午後三時ころ、右検査を終了したものであるところ、第一腰椎、第三、第四腰椎の特に左側に狭窄部位が認められ、田中医師により原告の病態は手術適用があるとの診断が下された。

6  原告は、右検査終了後の昭和五六年一月八日午後三時ころ、病室に帰室し、ベッド上で、足を水平に伸ばして上体を四五度に傾けて頭を上げておく姿勢をとり、そのころ吐き気のため顔色不良となったが、点滴により直ちに吐き気もなくなっていたところ、同日午後七時ころ吐き気のためプリンペランと二〇パーセントブドウ糖液の投与を受けたものの、顔色不良となり、下半身のしびれを感じ、同日午後七時三〇分ころ吐き気が収まったが、腰部にひきつる感じがあり、それが持続した(発汗を伴い、顔色不良)ため、同日午後九時二五分にはセルシン五ミリグラムの投与を受け、更に同日午後一〇時三〇分ころ被告病院の看護婦によって原告の上体が下げられたところ、突然しびれるような痙攣が当初肩から手にかけて、その後、足に及び遂には全身に断続的に生じ、その程度は徐々に激しくなり、腰痛及び両下肢の疼痛が著しく増強し、加えるに躯幹及び下肢の激烈な筋硬直、両下肢の知覚・運動麻痺が発現し、同月九日午前零時三〇分、同日午前二時五五分、及び同日午後一時一五分にそれぞれペンタジン一五ミリグラムの外、同日更にセルシン一〇ミリグラム二回の投与を受けたが、その症状は治まらないばかりか、増悪の一途をたどり、被告山本らは同日以降セルシン(ジアゼパム)及びペンタジン等を原告に何回も注射するなどの治療をしたが、その効果がなく、原告の右症状は同月二四日ころまで間欠的に持続した。

7  原告は昭和五六年二月二三日、腰椎の手術の必要があるとのことで、被告病院から紹介を受け、宇和島社会保険病院に転院して入院したところ、その際の原告の状態が起立及び歩行がいずれも不能で、両下肢に運動制限があったことから、同病院において、同年三月四日レントゲン検査をした結果、原告の両大腿骨頚部に骨折のあるのが判明し、同月二四日左大腿骨頭に無疫性壊死様が出現したため左大腿骨骨接合術(骨切り術を併用)の施術を、同年八月一九日右股に人工骨頭置換術の施術をそれぞれ受け、その後同年一一月ころから、機能回復訓練を受けて、同五七年二月ころから松葉杖で歩行できる状態まで回復し、同五七年三月一三日同病院を退院し、同月一四日から同年六月三〇日まで通院し、同日症状固定した。

8  原告は、右症状固定時において、右両下肢れん性麻痺、腰椎圧迫骨折及び大腿骨頚部骨折の各傷害により、股関節の運動範囲につき、屈曲が右七五度、左九〇度、伸展が左右とも〇度、内転が右二〇度、左五度、外転が右一〇度、左二〇度、外旋及び内旋がいずれも左右とも不能、股関節の運動筋力につき、屈曲、伸展、内転及び外転が左右ともいずれも半減、膝関節の運動範囲につき、屈曲が右一二〇度、左一三〇度、伸展が左右とも〇度、膝関節の運動筋力につき、屈曲及び伸展が左右ともいずれも半減、足関節の運動範囲につき、背屈が左右とも一〇度、底屈が左右とも三〇度、という運動制限があり、右各傷害及び運動制限のために、腰痛及び左右の股に疼きがあり、ズボン及び靴下の着脱、正座及び胡座などの座位の保持、片足立ち、最敬礼などができないほか、支持するものがなければ立ち上がれない、松葉杖を突かなければ歩行ができない、手すりがなければ階段の昇降ができない、和式便所での用便ができない、寝返りをうてなくて眠れないなどの状態であり、昭和五七年七月ころに障害者年金の二級の認定を、また同年一〇月ころに労働者災害年金の右足が五級、左足が七級の認定をそれぞれ受けている。

三  被告山本らの過失

原告は、被告山本、田中医師及び西本医師は原告に対して脊髄造影検査をするに当たって過失があったと主張し、被告らはこれを争うので、以下この点について審究する。

〈証拠〉によれば、ジラックスは、水溶性の造影剤であって、神経系に対する刺激作用を有しており、間代性痙攣などの重篤な副作用が発生する危険があるので、その使用に当たっては適応症、用法・用量を遵守し、厳重な患者管理のもとで慎重な実施を要するのであり、患者を頭部高位(一五ないし三〇度)とし、通常第三腰椎と第四腰椎の間に穿刺して髄液三ないし四ミリリットルを採り、そのうち二ないし三ミリリットルとジラックス四ないし五ミリリットルを混和して、レントゲン透視下でジラックスの上限が第一腰椎を越えないように注意しながら注入しなければならないこと、脊髄腔内にあるジラックスは硬膜嚢(主として腰椎下部)から血液中へ吸収され、血液循環により全身に分布し、腎臓を通って尿中へ排泄されるから、検査後に脊髄腔内に残存するジラックスを人為的に取り出す必要がないが、脊髄腔内から血液中へ吸収されるには、通常六ないし八時間を要するので、ジラックスが吸収されるまで、ジラックスの上限が第一腰椎を越えないようにするため、検査終了後少なくとも八時間は坐位ないし半坐位(三〇ないし四五度)で安静に保ち、その後の就寝は頭部高位を翌朝まで保たなければならず、老人あるいは脊髄狭窄のある患者の場合には、ジラックスが脊髄腔内から血液中へ吸収されるのに一〇時間以上を要することがあるので、検査終了後ジラックスを脊髄腔内から抜去したほうが望ましいことなどの事実が認められ、これに反する証拠はないところ、前記認定のとおり、被告山本らが原告に対して行った脊髄造影検査においては使用されたジラックスの量は、通常よりかなり多い一〇ミリリットルであり、しかも原告は右検査時において五六才と高齢であって、右検査において原告の第一腰椎、第三、第四腰椎の特に左側に狭窄部位が認められていたので、原告の脊髄腔内に注入されたジラックスが脊髄腔内から血液中へ吸収されるのには通常の場合よりもかなり長時間を要することが予想されるのであるから、被告山本らとしては、右ジラックスを原告の脊髄腔内から早く消失させるために検査終了後右ジラックスを脊髄腔内から抜去するか、あるいは検査終了後原告を坐位ないし半坐位で安静に保つ時間を通常の六ないし八時間よりも長くすべきであるにもかかわらず、右脊髄造影検査終了後に原告の脊髄腔内に注入されたジラックスを脊髄腔内から抜去せず、かつ原告を坐位ないし半坐位で安静に保つ時間を八時間程度で終了させたものであって、この点において、右脊髄造影検査を実施していた被告山本、田中医師及び西本医師には過失が認められ、これに反する証拠はない。

なお、〈証拠〉中には、右脊髄造影検査において原告の脊髄腔内に注入したジラックスの量は四ミリリットルであったとの部分が存するが、被告ら自らの主張と矛盾するうえ、〈証拠〉によれば、右脊髄造影検査において五ミリリットル入りのアンプル二本が使用されていること(このこと自体は証人田中晴人も認めている。)に照らして、右記載及び証言部分は採用しがたい。

また、右脊髄造影検査は、田中医師の主導の下に、針の穿刺を西本医師が行ったのみで、被告山本は自ら行っているものではないが、右検査は被告山本の了解を得て、その監視の下で、被告山本が院長を務める被告病院内で、被告病院の設備を用いて、被告病院の患者である原告に対して行われているものであるから、前記認定の注意義務は当然被告山本にも要求されるものであり、それを怠った被告山本にも過失が認められる。

よって、その余の過失の点について判断するまでもなく、被告山本の過失が認められる。

四  因果関係

〈証拠〉によれば、ジラックスの副作用としては、(1)腰椎穿刺による液圧の変化(髄液の硬膜外漏出による刺激も一因と考えられている。)を原因として髄膜刺激症状といわれる頭痛・発熱、悪心・嘔吐、項・頚部痛などの発現が、(2)ジラックスの神経あるいは神経根への刺激(検査後の半座位持続も一因と考えられている。)を原因として腰痛・下肢痛の発生及び増強の発現が、(3)ジラックスの神経根あるいは脊髄実質部への刺激を原因として神経根刺激症状といわれる下肢麻痺、つっぱり感、蟻走感などの発現が、(4)ジラックスの急速拡散に原因があると考えられている下肢及び全身の間代性痙攣・てんかん様発作の発現などがあり、右(4)の副作用は、脊髄腔内で十分に希釈されていない造影剤が第一腰椎以上に上昇した場合に多発する傾向があり、神経根刺激症状に続いて通常検査後四ないし五時間前後で発現し、多くの場合適切な処置により数時間から一日でその症状が消失するが、断続的に一週間程度その症状が持続することがあり、また強度な痙攣により骨折に至った症例もあること、などの事実が認められ、これに反する証拠はない。この事実に前記認定事実を考え併せれば、前記脊髄造影検査終了後に原告に発現した諸症状のうち、吐き気はジラックスによる副作用の右(1)の腰椎穿刺による液圧の変化を原因とする髄膜刺激症状の一つと考えられ、また下肢のしびれ感、腰部のつっぱり感はジラックスによる副作用の右(3)のジラックスの神経根あるいは脊髄実質部への刺激を原因とする神経根刺激症状と考えられ、さらにそれらの症状の後に発現した下肢を中心とする二週間におよぶ断続的な激しい痙攣などはジラックスによる副作用の右(4)のジラックスの急速拡散に原因があると考えられている下肢及び全身の間代性痙攣・てんかん様発作であると考えられ、これは前記脊髄造影検査において、通常より多量のジラックスが使用され、しかも原告は右検査時において高齢で、脊髄狭窄などの症状を有していたために脊髄腔内にあるジラックスが消失しにくい状況であったことから、通常ならば消失していたはずの検査終了八時間後に、実際には原告の脊髄腔内からジラックスが消失していなかったため、原告の頭位を半座位から低くしたことにより、ジラックスが第一腰椎以上に上昇するなどして発現したものと考えられる。そして、原告が昭和五七年一〇月二三日の時点において受傷していた両下肢れん性麻痺、第一腰椎圧迫骨折及び両大腿骨頚部骨折のうち、第一腰椎圧迫骨折は右検査以前から原告が受傷していたものであるから、これは右痙攣によって受傷したとは認められないとしても、両下肢れん性麻痺及び両大腿骨頚部骨折は、右検査以前に原告が受傷していたことを認めるに足る証拠はなく、ジラックスの副作用による痙攣によって骨折が生じうるのであるから、これらはいずれもジラックスによる副作用である右痙攣などが激しかったために生じたものと考えるのが相当であり、昭和五七年六月三〇日に症状固定した前記二の7認定の後遺症についても、原告が右検査以前から第一腰椎圧迫骨折の受傷をしていたものであるとしても、右検査時においては原告は雪掻きができるくらいまで第一腰椎圧迫骨折による後遺症は回復していたのであるから、右両下肢れん性麻痺及び両大腿骨頚部骨折によるものであると考えるのが相当である。したがって、被告山本、田中医師及び西本医師の前記過失と痙攣により原告が受傷した両下肢れん性麻痺及び両大腿骨頚部骨折並びに原告が負っている右後遺症との間には、相当因果関係が認められる。

なお、被告らは、原告に発現した痙攣は、原告が被告らの指示を守らずに原告が頭位を低くしたため、原告の脊髄腔内に残存していたジラックスが第一腰椎より上昇したことによるものであるから、被告らに責任はない、と主張するが、右主張を認めるに足る証拠はないばかりか、かりに被告らの主張のとおり原告が被告らの指示を守らずに原告が頭位を低くしたことがあったとしても、証人田中晴人の証言及び原告本人尋問の結果によれば、田中医師及び被告病院の看護婦が原告に対し、脊髄造影検査終了後原告の体位を動かさないように注意したことが窺えるが、その場合、体位を動かすことにより原告に生じる結果が重篤であることから、右重篤な結果も告げて、原告の注意を促すか、あるいは原告が体位を動かさないように管理しておくべきであるが、田中医師及び被告病院の看護婦が原告に対し、体位を動かしたことにより生じる重篤な結果までも告げてこれを注意し、あるいは原告が体位を動かさないように管理していたとまで認めるに足る証拠はなく、もし原告が右指示を守らずに体位を動かし頭位を低くしたため、原告の脊髄腔内に残存していたジラックスが第一腰椎より上昇したことにより原告に痙攣が発現したとしても、それは田中医師及び被告病院の看護婦、さらには被告山本及び西本医師が原告に対し、十分な注意を与えなかったため、かつ被告らが原告が体位を動かさないように管理していなかったためであって、結局、被告らには、右不十分な指示しかせず、かつ右指示を守らせるだけの管理をしていなかった過失があり、その過失と原告の前記受傷及び後遺症との間には相当因果関係があり、原告の行為の介在を理由として因果関係を否定することはできないから、いずれにしても、被告らの主張は理由がない。

また、〈証拠〉には、原告に発現した痙攣は、原告に対してジラックスが体質的に特異に作用したものとしか考えられないとの記載部分が存するが、右記載に沿う証拠はなく、むしろ前記認定のとおり原告に発現した痙攣を合理的に考え得るのであるから、右記載は採用しえない。

五  被告辰生会の責任

田中医師及び西本医師は、被告辰生会が非常勤で雇用している医師であり、田中医師及び西本医師の原告に対する前記過失行為は、田中医師及び西本医師が被告辰生会の医療業務の執行について行われたものであり、右行為により原告に対し、後記損害を被らせたのであるから、その責に任ずべきものである。

六  損害

原告は、被告山本らの過失により、以下のとおり合計五六八七万一五七二円の損害を被った。

1  傷害による逸失利益

前記認定のとおり、原告は、被告病院に入院する昭和五五年八月一日まで大工の職に就いていたものであり、前記脊髄造影検査が行われた同五六年一月八日の時点では雪掻きができる程度の状態であったのだから、原告の症状について要経過観察期間を考慮しても、それから二か月を経過した同年三月九日ころには大工として稼働できたというべきであり、同日から同五七年三月一三日までの三七〇日間、前記痙攣により受傷した両下肢れん性麻痺及び両大腿骨頚部骨折により被告病院及び宇和島社会保険病院に入院していたため、大工として稼働しえず、収入が得られなかった。成立に争いのない甲第一号証によれば、原告は同五三年一月から同五五年八月までの三二か月間に大工として一二三八万三四一〇円(平均月額三八万六九八一円。なお、〈証拠〉には、一二三九万三五一〇円と記載されているが、その計算の基になった同号証添付の所得額集計綴には、以下のとおりの記載及び計算の誤りがある。同所得額集計綴の昭和五三年分の収入の記載のうち、二月の建材収入が二万八〇〇〇円であるのに、誤って三万八〇〇〇円と記載されており、八月の木材収入が五万八〇〇〇円であるのに、誤って五万八五〇〇円と記載されており、右の正しい数字に基づいて算定した同年一月から一二月までの合計は四一七万九六〇〇円である。また、右所得額集計綴の昭和五四年分の収入の記載のうち、一月の建材収入が四万〇八〇〇円であるのに、誤って四万○二〇〇円と記載されており、二月の建材収入が五万三五〇〇円であるのに、誤って五万二五〇〇円と記載されており、右の正しい数字に基づいて算定した同年一月から一二月の合計は五〇一万五九五〇円である。さらに、右所得額集計綴の昭和五五年分の収入の記載のうち、一月の木材一式収入が四万八〇〇〇円であるのに、誤って四万八二〇〇円と記載されており、右の正しい数字に基づいて算定した同年一月から八月の合計は三一八万七八六〇円である。したがって、右の正しい数字に基づいて算定した昭和五三年一月から同五五年八月までの合計は一二三八万三四一〇円である。)の収入を得ていたことが認められ、これに反する証拠はない。

したがって、原告は、右傷害による逸失利益として、少なくとも、平均月額約三八万六九八一円に一二月と休業日数三七〇日を掛けて、三六五日で割った、四七〇万七三八五円の損害を被ったと認められ、これに反する証拠はなく、またこれ以上に原告が損害を被ったことを認めるに足る証拠もない。

2  後遺症による逸失利益

前記認定の原告の後遺症の内容及び程度に鑑みれば、原告は少なくとも労働能力を九二パーセント喪失したものとするのが相当であり、原告は、前記認定のとおり右後遺症の症状固定時である昭和五七年六月三〇日の年齢である満五七才から就労可能年齢である満六七才までの一〇年間の大工による収入のうち、右後遺症により九二パーセントを喪失した。

したがって、原告は、右後遺症による逸失利益として、少なくとも、平均月額約三八万六九八一円に一二月と労働能力喪失率〇・九二と新ホフマン係数七・九四五を掛けた、三三九四万三一八七円の損害を被ったと認められ、これに反する証拠はなく、またこれ以上に原告が損害を被ったことを認めるに足る証拠もない。

3  傷害による慰謝料

原告の前記傷害による慰謝料は、前記認定の受傷内容、原告の被告病院及び宇和島社会保険病院への入院及び通院の経過などに諸般の事情を考慮すれば、一六五万円が相当である。

4  後遺症による慰謝料

原告の前記後遺症による慰謝料は、原告が負っている後遺症の内容及び程度、これによって推認される仕事あるいは日常生活への支障の大きさなどを考慮すれば、一一〇〇万円と認めるのが相当である。

5  入院付添費

前記認定のとおり、原告は前記傷害により、昭和五六年一月八日から同年二月二三日までの四七日間被告病院に、同日から五七年三月一三日までの三八四日間宇和島社会保険病院にそれぞれ入院しており、原告本人尋問の結果によれば、右入院期間中原告の妻が原告に付き添っていたことが認められるが、他方、同尋問の結果によれば、宇和島社会保険病院は完全看護体制で付添いは要らなかったことが認められるので、原告が右傷害により必要とした付添費は被告病院に入院していた四七日間についてのみ認められ、その余は認められず、付添いに要した費用は一日当たり三〇〇〇円とするのが相当である。

したがって、原告は、入院付添費として、一日当たりの入院付添費三〇〇〇円に入院期間四七日間を掛けた、一四万一〇〇〇円の損害を被ったと認められ、これに反する証拠はなく、またこれ以上に原告が損害を被ったことを認めるに足る証拠もない。

6  入院諸雑費

前記認定のとおり、原告は前記傷害により、昭和五六年一月八日から同五七年三月一三日までの四三〇日間被告病院及び宇和島社会保険病院にそれぞれ入院しており、その間に要した入院諸雑費は一日当たり一〇〇〇円とするのが相当である。

したがって、原告は、入院諸雑費として、一日当たりの入院諸雑費一〇〇〇円に入院期間四三〇日間を掛けた、四三万円の損害を被ったと認められ、これに反する証拠はない。

7  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告は原告訴訟代理人に対し本訴の提起及び遂行を委任し、かつ報酬の支払約束をしたことが認められるところ、本件事案の内容、難易、審理経過、認容額等に鑑みると、被告らに対し請求しうべき弁護士費用の額は、五〇〇万円と認めるのが相当である。

よって、被告らは、原告に対し、各自金五六八七万一五七二円及び内金五一八七万一五七二円に対する不法行為の日の後である昭和五七年七月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

七  以上のとおりであって、原告の被告らに対する本訴請求は、右説示の義務の履行を求める限度において理由があるからこれらを認容し、その余はいずれも失当であるからこれらを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 八束和廣 裁判官 高林 龍 裁判官 牧 賢二)

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